susieの旅ブログ

埼玉在住都内に勤める40代主婦の旅と本の記録。

晴読雨読、「嫌われる勇気」ほか。

こんにちは。未だに20代に間違えられるsusieでございます。しかもこないだは見知らぬ人に学生と間違えられました。確かに童顔ではあるけれど・・問題はわたしではなく決め付けやすく見る目のない世間にあるような気がしています。年下に年下と思われタメ口きかれるのは勘弁してほしい。


さて、最近読んだ本のご紹介に参りたいと思います。


イメージ 1

まず「〈からだ〉に聞いて食べなさい もっと自分を愛してあげるために」は以前ご紹介した「自分を愛して!病気と不調があなたに伝える〈からだ〉からのメッセージ」の著者リズ・ブルボーの食に関する本で、どんなものを好んで食べるかでその人の持っている心の傷がわかるというのが興味深くて買ってみた一冊。ちなみにわたしは硬いものを噛むのが好きなんですけど、本によれば「誰かに対して怒りをいだき攻撃的。なんでも自分の思い通りにしたがる」と書かれています。いくつかの要素を組み合わせて読み進めてみても、「自分に自信なく」というより「人を批判する」タイプらしいです。うーん・・・そうじゃないと思いたいけど、そう思ってしまったら成長がないので、ここは反省すべきところなのでしょう。でも批判する代わりに芋けんぴ食べてるんならいいんじゃないかなあ、なんて。そういうこと考えてるから足に痣がいっぱいできるんだな。
そして「粗食のすすめ」でお馴染みの幕内秀夫の「ドラッグ食 あなたを蝕む食依存と快楽」。リズ・ブルボーがもっぱら心の中に目を向けるのに対し幕内秀夫は時代にフォーカスして食の問題を読み解いていて、特にわたしたち世代は生まれた時からドラッグ食に慣れ親しんでいるため何が食べるべき食材かわからなくなっているからちゃんと選んでいかないといけないということを訴えています。幕内氏の「夜中にチョコレートを食べる女たち」という本(を読んだ時に紹介するの忘れましたが)にはチョコレート依存に苦しむ現代女性のことが書かれているのですが、悩んでいるのはチョコレート依存だけでなくポテトチップス依存もあるということを後に知り、この本ではポテトチップス依存についても触れられています。たとえばある女性、仕事終わる時間に近づくとポテチのことばかり考え、終われば必ずコンビニへ、時には自宅まで待てず途中で袋を開けて食べてしまう・・・あれ?わたしと一緒ですけど(汗)。わたしはポテチじゃなくてとあるお菓子なんですけど、仕事後速攻いつものナチュラルローソンへ駆け込みゲット→店出てすぐ食べる。治る気配なし。ここはリズ・ブルボーに従って内省が必要そうだ。


イメージ 2

お次は、いつだったかYahoo!のニュースを読んでいたら飛び込んできた樹木希林の言葉〈根本的に自分が存在していることが申しわけないとか、恥ずかしいと思えたときに、女って色っぽいんだなと思うんです〉に激しく共感して、本屋へ買いに行った「一切なりゆき 樹木希林のことば」。めちゃめちゃ売れてるらしいし、どれだけ心に響くのかと読んでみたものの、実はそんなに共感しなかった。帯に「求めすぎない」とあるのですが、読んだ印象として、わたしから見ると樹木希林はものすごく欲深く、だからこそ「そうじゃない」と何度もよくを隠そうとしてきたのかなと思ってしまいました。洞察力はあるものの、それに追いついていない心をどう扱うかずっと悩んできた一人の女性の生き様という感じ。枠にはまらない感じは好きだけど、どちらかというと娘也哉子さんに共感してしまうわたしが一人。変な母親がいるとさ・・・。


イメージ 3

読みたい本が特になく、かといって通勤電車ですることがなくなるのでなんとなくだけど買ってみた古市憲寿の「誰の味方でもありません」。目次を読んでみると”みんな乙武さんがうらやましかったのか””安倍昭恵さんは面白い””他人に勝手に寄り添わない”などブラックユーモアを愛するわたしとしては面白そうなタブーの切り込みが満載で、電車にも関わらず結構笑えた。イチオシなのが、「三代目J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE」というネーミングへの切り込み。聞かれてもいないのにどこの末裔で何の一員だかを名乗っているという、この冷めた視点がわたしにはドストライクで、つい古市憲寿の生年月日などを調べてみたらわたしと同じ山羊座O型だった。気が合いそうだと思って「だから日本はズレている」も買ってみたら「誰の~」よりは退屈だったけど、それでもいくつかハッとするようなことが書かれていたので少し紹介。まず「おじさんとは自分たちの価値観を疑わない人たち」という見方。めっちゃ共感。ていうかこれは「おばさん」にも当てはまることだと思う。そう考えると村田沙耶香のエッセイでおばさんになりきれないエピソードがしっくりくる。思考の深い人はなかなかおじさんおばさんにはなれないような気がする(もっともならなくても良いのだろうけど)。あとどのページか見つからなかったので適当な言葉になるけれど、世間は平和を望んでいない?的なことが書いてあって、要するに日本はもう十分豊かなのにまだ何か悪い部分を見つけてどうにかしようとしているみたいなのがすごい共感した。というのも、別にじっとしていればどうにかなるようなものを何か見つけては批判している職場の人たちを見て、この人たちはもしかしたら平和恐怖症なのだろうか?と思ったからだった。「満足」ということが訪れない、これはわたしの職場に限らず日本全体がそうなのかもしれない。


イメージ 4

最後に。今年に入って、うちのダンナがめっちゃキレやすくなったんで困ってたんです。その時の言い分が必ず「俺は〇〇してあげてるのに!」「susieちゃんがそう言いたからこうしたのに!」「だってsusieちゃんが・・・!!」そして暴れて壁に穴を開けて家出する。(その間わたしは終始黙っている)自分が言い訳ばかりで自分軸で生きていないということを自覚せず、わたしの言うことを全く理解しないので、読ませてみたのがこのベストセラー「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」。これを読んだダンナはどうなったか。読み進めるたびに苦しみもがき続けました。今までの頑張りを全て否定されたみたいになったらしい。すぐには理解できず、ものすごくゆっくり繰り返しながら読み、ときには涙するくらい影響されていたダンナ。ちなみにわたしは昔から自己啓発本ばかり読んでいたせいか(元々の性格か?)「アドラーわたしとそっくり」と言う変な感想しかなく、いちいち青年がダサい言葉で突っかかっていく対話式が鬱陶しいくらいでしたが、アドラーの考えを理解するのが難しいダンナにとっては、青年が自分の代弁をしてくれるようで良かったらしい。読み終わったダンナは、なんと、ケンカしてもキレなくなりました。ケンカはおろか、わたしの言い分に理解を示すようになりました。しかし・・頭では理解していてももどかしいようで、よく泣くように。そこでこちら「幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えII」の登場です(笑)。まずはわたしが読んでみると、ダンナの心情と照らし合わせて読んだからか、始めの見開き2ページがクライマックスのタイトルコールのようで何だか感動してしまって、青年を応援したい気持ちに。ダンナもまたイチから青年と学んでいき、「嫌われる勇気」の読み終わりよりも納得した様子?で落ち着いていたように思います、多分。そのあと一度だけ大暴れしてましたが(したんかい)、何よりわたしの言うことを理解してくれるようになったことが嬉しくて、早く出会って欲しかった一冊。
で、根っからアドラー?のわたしから言わせてもらうと、じゃあアドラー実践したら幸せになるかと言うとちょっと違うと思う。だって、社会にいる人間はアドラーを知らないから。よほど視野が狭くない限り、「何言ってんのこいつ」と一蹴され天才は凡人に理解されない構造(「天才を殺す凡人」参照)を目の当たりにするだけなので。あーあ。読むべき人に限って本読まないんだよなあ。