susieの旅ブログ

埼玉在住都内に勤める40代主婦の旅と本の記録。

わたしの帯状疱疹と、ダンナの水疱瘡。

先ほどやっと書き終えた今年の「国際バラとガーデニングショウ」の記事。

 発熱で寝込んでいたダンナには申し訳ないけれど、今年もとても面白かった。
 ショウの帰りに母と「インフルエンザにでも罹ったのかねえ」と話していた、そのダンナの病状・・・
 
 実は、水疱瘡でした。
 
 
 「大人の水疱瘡」は大変だというのはよく耳にしていたけれど、実際目の当たりにしたことなどないわけで。
 30代後半にして罹ってしまったダンナはこの2週間ずっと仕事を休み、もれなく大変な目に遭いました。
 ネットで検索すると即入院させられた方が多く参考になった資料が少なかったので、
 ダンナと同じ目に遭った方の為にも、記録しておこうと思い記事にしてみました。
 
 
 
 
 

 5月14日(水) 1日目
 
 夜、ダンナが腕が痛いと言いだした。
 もともとダルイだの頭が痛いだのが多いダンナなので、筋肉痛じゃないの?と言い放ち眠りに入った。
 

 5月15日(木) 2日目
 
 ダンナと一緒の休み。
 前々からこの日は近所の古めかしい喫茶店に行こうと約束していたのだが、朝から相変わらず腕がだるいだの抜かすので、明日のガーデニングショウに行けないとか言うんなら今日休んでおけと忠告するも、無理して喫茶店に行くことに。そういうところがあるダンナである。喫茶店では普通にカルボナーラを平らげ夜はカレーを食べるが、熱を測ったら37,8℃あった。ちなみにダンナの平熱は36℃以下。
 

 5月16日(金) 3日目
 
 ガーデニングショウ当日。起きて熱を測ると38,3℃あった。昼過ぎから向かう予定だったので「昼まで待っててあげるよ」と優しい声を掛けるも、午前中のうちに実家に電話し母と向かうことを密かに決め、結果置いて行く。 本人はかなり辛そうで、インフルエンザじゃないかという疑惑が持たれる。夜はおかゆを食べた。
 

 5月17日(土) 4日目
 
 一応明記しておくが、この日までわたしは偶然にも連休だったため家にいる。
 起きたらダンナの体にポツポツとできものが出来ていた。
 「susieちゃん、これなんだろう~?」
 「知らないよ、あたしゃ医者じゃないんだから」
 土曜日なので午前のうちに家から徒歩1分の総合病院へ行くダンナ。
 帰宅するなり「なんと、水疱瘡でしたー!」と訊いてもいないのにあたかも重大発表のように発言するダンナ。
 医者には「月曜日までは仕事は無理だな」と言われたらしく、ソランタール錠・エンピナースP錠・フロモックス錠を7日分持って帰ってきた。ずっと入浴せず寝ていて気持ち悪かったのか、帰宅してすぐシャワーを浴びる。
 
 ダンナが水疱瘡に罹っていなかったのは知っていたが、一体どこからうつされたのだろう。ホテル勤務なのでいくらでも可能性はあるとし、この時は深く考えなかった。
 夜はどんぶりが食べやすいだろうとビビンバを出してみたが、ほとんど残し、ウィダ―インゼリーを飲んで済ます。38,9℃もあり、話しかけても意識が朦朧としているように見える。発疹が出始める。
 

 5月18日(日) 5日目
 
 熱が少し下がると(といってもこの時はまだ高熱)痒みを感じやすくなるのか、痒くて一睡も出来なかったらしい。ダンナがしきりに「死にそう」と言っている。発疹が気持ち悪いくらい顔と首に出来る。なのに朝シャワーを浴び、あろうことかヒゲを剃るダンナ。
 
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耳の裏にも発疹がたくさんあるため、眼鏡は掛けられない。
目の中にもできているのか、目の周りが赤い。
一眼レフでしっかり写真も撮ったが、あまりのグロさに割愛させて頂きます。
 
 前の夜のうちに水疱瘡を調べると、大概の人が即入院であることを知る。しかしなぜダンナは帰ってきたのだろうか。よく分からないが熱が下がらず脳炎になるおそれもあるそうなので、わたしは仕方なく(あくまで仕方なく)仕事を休む。とはいえど一日中つきっきりしていても仕方がないので、少しの間(あくまで少しの間)近所の酒屋巡りに行く。その昼に作っておいたサンドイッチを食べたらしい。夜はおにぎりとヨーグルトだけ食べる。口の中にも発疹があるようで、本当はなにも食べたくないらしい。
 
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高熱で脱水症状にならないために、すぐ届く位置にペットボトル。
棚の上には体温計と冷えピタ(発疹で貼れなくなる)、ゼリー飲料を常備。
ひんやりまくら&冷蔵庫で冷やしたタオルを首に巻き、温くなったら取り替え。
吹きかけると冷たくなるメントールスプレーを買ったら、しみると嫌がられたので却下。
 この日の夜だったか忘れたが、あまりの辛さに珍しく弱音を吐いていたダンナ。人のせいには絶対しない性格のダンナが「なぜ親は予防接種を受けさせてくれなかったのか」とつぶやき、「インフルエンザの人がタミフル飲んでベランダから飛び込むのは、熱が辛すぎて飛び込むのではないか」等と鬱めいたことを言っていた。
 このように記録を書き記しているとたった数日間のことなのに、たしかに当時は長く感じる程本人はとても辛そうだった。
 

 5月19日(月) 6日目
 
 38,2℃。少し熱が下がったためある程度眠れるようになったらしい。
 というか、目に見えて痩せた。ヒゲの伸ばしっぱなしで余計痩せて見える。
 
 ここにきて分かってきたことがひとつ。水疱瘡を調べるとよく一緒に出てくる「帯状疱疹」という病気。帯状にブツブツが出来てとても痛いということだけは認識していたが、調べてみると水疱瘡と同じウイルスで、水疱瘡に罹った事のない人が帯状疱疹に罹っている人からウイルスをもらうということがわかった。それを読んだ時は「あっそ」というだけだったが、サイトに添付された図解イラストを見ていると見覚えのあることに気づいた。
 
 あれ?わたしのお腹にも似たようなものが。
 
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 職場で履いている制服がきつ過ぎて赤くなっている、もしくはその制服にダニでもいたのかと自己分析し、痛みもただの生理痛だと軽視していたわたしの右腹のボツボツ・・・
 
 それこそが帯状疱疹そのものだったらしい。
 症状が全て当てはまる。とくにストレスで発症ってとこ。

 発症したのはちょうど1ヵ月くらい前。ブツブツができたのはそれからほどなくしてからであり、水疱瘡の潜伏期間は約2週間。
 うむ、計算ピッタリ。
 ちなみにわたしの症状はというと、生理痛だと思っていた痛みだが、今考えれてみれば生理痛とは全く違う痛みで(病気を疑いたくなかったため無理やりこじつけた)、紙でシュッと切ったような痛みが時々あるといった感じ。痛いは痛かったが、腹をつまんだりしてごまかした。そのうちボツボツが出来てものすごく痒いのだが、それもごまかし続けた。それよりも仕事のストレスの方が問題だったのである。
 
 一方で水疱瘡の薬を調べていたダンナは、「皆がもらっている薬と違う」と診察した病院を疑い、この日の午後、皮膚科のある総合病院へ行くことに。とはいっても我が家は車がないためタクシーで。感染症なのであらかじめ水疱瘡患者がいることを電話で伝え、わたしも一緒に同行。
 
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 近所の病院とは違い施設の整った清潔な病院の窓口に行くと、他の患者にうつらないようにと遠くの誰もいない待合場所で待つことになった。熱が下がらず辛そうなダンナには悪いが、夜中2,3時間置きにタオルを変えていたわたしは眠気に耐えられず病院で爆睡。しかし40分後歯医者を控えていたので途中で抜ける。患者であるダンナはその後1時間半程待たされたらしい。
 そして貰って帰ってきたのは、ウイルス感染の治療薬「バルトレックス錠」、5,830円。これが正しいらしい。
 医者に隣の病院でもらった処方薬を見せたら驚かれ、これでは治らないと憤慨していたとのこと。(以前もらった薬はただの風邪患者の処方)怒りのあまりダンナの症状はあまり聞いてもらえなかったと不満そうに帰ってきた。そう、また帰ってきた。医者曰く「入院しても良いのだが、近くに感染症を受け入れている病院が●●病院しかないから、入院したかったらまた明後日来て。そしたら紹介状書いてあげるから」と面倒そうに言われたらしい。
 この日から抗ウイルス剤を飲み夜はスープだけ食べるが、なぜか熱は上がり、夜中は最高記録39℃以上(本人曰く40℃近くあったとのこと、本人の感覚で)突破し、苦しかったらしい。

 5月20日(火) 7日目
 
 起きるなり発したひとこと、
 
 「何かが終わったような気がする」。
 
 そう言い残し、この日も一日中寝ている。発疹も落ち着き、朝測ったときは38,8℃あった熱も夜には37,7℃まで下がる。
 わたしの母親が冷やかしに、もとい、お見舞いに来る。有難いことに「あのころはまだ予防接種等なかった」との発言をもらった。
 ちなみにわたしは水疱瘡をやっているのでうつらないと思い同じベッドで寝ているのだが、疲れて自分も昼寝するときふとダンナのスマートフォンでネット検索しようとしたら、検索履歴に「水ぼうそう 大人 精神力」と出てきた。スマートフォンを使用して2年半、1日たりとも欠かしたことのなかったスマ―フビレッジ(スマーフが畑に野菜を植えたり育てたり枯らしたりするつまらなんゲーム)をしなくなり、その代わりに検索していた「精神力」・・・水疱瘡の恐ろしさを知る。
 

 5月21日(水) 8日目
 
 朝熱を測ったら37,5℃しかなかったので、わたしは出勤することに。
 このころから発疹がかさぶたになりポロポロ落ちてくる。ずっとあった寒気もなくなったらしい。
 夜は36,8℃まで下がるが、痒みで熟睡出来なかったとのこと。食事もまだ少ししか食べていない状態。
 

 5月22日(木) 9日目
 
 36,8℃。平熱が36℃以下なのでダルさは抜けないみたいだが、見た目とも落ち着いた様子。
 一応一日中ベッドにいる。
 食事もだいぶ普通に戻り、さんま蒲焼どんぶりと味噌汁を平らげる。
 

 5月23日(金) 10日目
 
 36,8℃。痒さがあり辛そうだが、この日は家事も手伝えるくらいに。もちろん自主的にである。
 この日は寝室にはおらず、リビングで寝たりしていた。感染症なので、この日まではずっと家で生活。
 

 5月24日(土) 11日目
 
 午前中例の隣の総合病院へ、血液検査の結果を聞きに行く。
 そこでのやりとり。(ダンナ談)
 
 医者「つらかったでしょ~」
 ダンナ「死にそうでしたよ~」
 医者「本当は入院でもよかったんだけどね~、まだ若いからちゃんと抗体を作った方が良いと思って、なるべく自然な形で治療してもらおうと思って」
 ダンナ「入院したかったっすけどね~」
 医者「10日くらいウイルスは体内に潜んでいるかもしれないから診断書書いとくね」
 
 ダンナ、塗り薬アラセナA軟膏とうがい薬ネオヨジンガーグルを持って帰宅。
 つまり医学的に若いダンナは、特効薬を処方して抗体を作らず治すよりも、自然な形でウイルスに感染されて抗体を作り、二度と水疱瘡に罹らない方が長い目で見て良いと判断されたようである。こう説明されても、発症してから98時間内に飲む特効薬を飲んでいれば地獄を見なくて済んだと、悔やんでも悔やみきれない様子だった。
 

 5月25日(日) 12日目
 
 だるさは残るものの、日中はわたしのいない間家事もやってくれていた。
 見た目的にも以前のニキビ面と大差ない感じ(というと怒られる)。
 

 5月26日(月) 13日目
 
 だるさが軽減し、「久しぶりにグッスリ眠れた」とダンナ。
 痒いは痒いらしく、部屋のあちらこちらにかさぶたが落ちている。
 

 
 
 そして今日。ダンナ、仕事へ復帰。
 まだダルいらしいが病み上がりなので仕方あるまい。とりあえず完治なのである。
 
 
 
 
 
 余談だが、ダンナが寝込んだことにより、主婦のわたしに初めてゴミ当番が回ってきた。
 久しぶりに夕飯の食器洗いをし、洗濯物を取り込み・・・
 主婦って大変だな、と思った。
 
 
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